someone's diary

生活の記録。

「私」を知ろうとする試みに意義はあるのか

僕なりの"自我"に対する考え方を書きまとめたので記録しておく。また、これから自我については書物を漁ってみようと思うけど、取り敢えずそういうものを読まずに、今の考え方を少し残しておこうと思った。

 

 

自分を知ろうとする試み

人格形成に大きな影響を与えるものといえば"その人が好きなもの"だと思う。

 

何かに触れたり見たりすれば、なにも影響を受けないということはなくて、何かしらを知らずのうちに自分の中に取り込んでいるはずだ。

 

自分のものだと思っている価値観すら、分解すれば経験と参照の繋ぎ合せでしかない。ならば、自分を良く知るためには、自分が多く時間を割いてきた対象を知らなければいけない。

 

だが、そもそも自分を知ろうとする試みは、意味があることなのだろうか。

 

 

前提として、確固たる独立した人格というものは存在しないと僕は思う。この人はこんな人です、なんて風には普通は言えないのだ。それでは困るから、本当は言えないけれど適度に要約・捨象してこういう人だということにする。

 

役による人格解釈

人は沢山の役割を、居場所を持っている。子供としての自分。兄弟・姉妹としての自分。学生としての自分。誰かの友達としての自分。時間的にも幅を広げれば、両手の指では足りないくらいの"役"を人は持っている。

 

例を挙げれば、僕は"僕の母親"としての母親を知っている(つもりである)けれど、"祖母の娘"としての母親をよく知らないし、"歯科衛生士"だったときの母親も"若いときの父の恋人"としての母親も殆ど知らない。

 

突き詰めて言えば、僕は母親が普段どういう生活をしているのか、どういう人生を送ってきたのか、近くで見てすらいない訳で、存在を知らない役さえ存在する。家族の1人のことすらあまり知らないのが本当のところなのだ。僕の家族は恐らく他と比較しても異常なほど仲が良い家族で、基本的に何でもかんでも話し話されているけど、それでも分からないことだらけだ。

 

人格のイメージは、そうした役の集合であり、霧のような、輪郭のはっきりしないものである。

 

人間の身体は、細胞分裂を繰り返し絶えず変化しているのだから、昨日の私と今日の私では、構造的にも違う私である…にも関わらず、私が私を私であるということに全く疑問を抱かないのは何故だろう。この自己同一性は、人格の役者解釈から考えると、私の中で役の譲渡が行われ続けているからだと考えられる。

 

今日の私は私という役(人格)を1日を担当する役者(身体)だという考え方だ。なんかちょっと怖いような気もするけど。

 

でも、こう考えると過去に縛られづらくなる。だって私は昨日でも一昨日でもなく今日の私なのだから。昨日の自分に出来なかったことだって、今日の自分になら出来るんじゃないかなって思える。

 

 

自己を定義する必要性

そうした無数の役の集まりの雲から個人を抽象することはまず確実に不可能だが、だからと言ってそれで自分について知ろうとすることが無意味な行為になるか?というと少々疑問である。

 

誰に対しても一定のクオリティで接するということが苦手であるのは、僕が役に依存して行動しているからではないかと思った。しかもその役は、僕が決められる訳ではない。僕は自身の心理的抑揚を話し相手に依拠していたのである。それが、人によって合う合わないということの正体ではないだろうか。

 

それぞれの役はその人の1つの切り口に過ぎないが、その一つ一つは決して虚像ではなく、一面の真実なのである。役の数だけその人の顔が存在すると思えば、私達は一体何を拠り所にして生きれば良いのか分からなくなるのではないか。

 

ならば、他人との関わりで生まれる切り口ではなく、あくまで内側から、自分というものをひとつ定義してあげれば、もう少し安心して、胸を張っていられるんじゃないだろうかと思う。

 

 

だから、僕は人からの評価を否定しないし(納得し難いときもあるけど)、それとは別に僕の僕に対する認識も大事にしている。今回は、自分に対する理解を深めるために、好きなものを思いつく順でバシバシ書き下して見た。メモメモ。



1.スピッツ
2.UNISON SQUARE GARDEN
3.森見登美彦
4.星新一
5.文章を書くこと
6.オムライス
7.浦和高校の友人達と遊ぶこと
8.自然堂ラーメン
9.君と僕。
10.ベースを弾くこと
 
11.ASIAN KUNG-FU GENERATION
12.歌うこと
13.物理
14.寝ること
15.アマレットジンジャー
16.ハグ
17.散歩
18.動画を作ること
19.THEビッグオー
20.Cowboy Bebop
 
21.ラーメンズ
22.Go!プリンセスプリキュア
23.野菜炒め
24.新宿中村屋
25.GRILL ALABELL
26.古典文学
27.哲学
28.映画館
29.接客すること
30.ガールズ&パンツァー
 
31.山本義隆
32.予備校の1年間
33.ナポリタン
34.浦和駅
35.座禅体験に行ったこと
36.京都旅行
37.宮本充
38.ボールルームヘようこそ
40.ハイキュー!
 
41.炒飯
42.フォーマルな服装
43.マドレーヌ
44.担々麺
45.〆サバ
46.珈琲
47.掃除
48.インテリア雑誌
49.豚汁
50.猫
 
51.真顔日記
52.にんにく
53.桜
54.血界戦線
55.サムライチャンプルー
56.松坂桃李
57.ロッテリア
58.arctic monckeys
59.AVGN
60.スラムダンク
 
61.山寺宏一
62.唐揚げ
63.コークハイ
64.桜木町
65.桜井政博
66.ピンポン(映画)
67.コリン・ファース
68.古畑任三郎
69.the manzai(あさのあつこ)
70.the Oasis
 
71.nujabes
72.the pillows
73.コクリコ坂から
74.白シャツ
75.白鷺宝
76.あたしンち
77.nano.RIPE
78.米澤穂信
79.ボンゴレビアンコ
80.いちご
 
81.バナナ
82.はちみつ
83.ジョジョの奇妙な冒険
84.堀さんと宮村くん
85.髪の綺麗な人
86.杏露酒
87.パイナップル
88.フライデーズハンバーガ
89.ボケること
90.遠慮なくツッコんでくれる人
 
91.佐賀のがばいばあちゃん
92.プログラミング
93.手が綺麗な人
94.ジンジャーエール
95.生姜焼き
96.ジーンズ
97.チーズ
98.ウィンナー
99.チキン南蛮とタルタルソース
100.好きな方向へずんずん歩いて行く人

 

100個の好きなものを書き出すって、結構大変だ。

また5年後とかにやってみたら、面白そうだな。

 

 

炊飯器に激怒しそうになったとき、懐かしい記憶を掘り起こした

先日、バイトの炊飯器が激熱になっているのに気づかず触ってしまい、軽い火傷をしてしまった。不覚、と思ったが次の瞬間には僕は炊飯器に腹を立てていた。なんでお前そんな熱々なんだ。

 

ん?と思った。

 

僕は今、物に怒っている。

 

 

僕にはそんな記憶がある。昔々、あのときも僕は物に本気で怒っていた────

 

 

 

2004年、小学一年生の時だ。この年僕は初めてコンピュータに触れた。父の職場にあったパソコンだ。

 

 

しばらくして、家にもパソコンがやって来た。

Windows XP。確か、誰かが自作したのを貰ったのだと思う。

 

お世辞にも良いとは言えないパソコンで、電源を入れてからスタート画面に行くまでに5分、パスワードを入れてからホーム画面に行くまでに5分、そこで焦ってインターネットのアイコンをクリックしようものなら画面がブラックアウト、砂時計のマークが永遠に出続けるという、今からすれば地獄のようなスペックだった。

 

 

当時僕はまだ我慢とかが苦手な年頃だったから、このパソコンにはものすごくイライラした。親は『機械に怒るな。頑張って動いてねってお願いするような気持ちでいれば怒らずに済むし、早く動くように感じるよ』と言って僕をなだめてくれた。あれは自分で感情のコントロールをできるようになれという教えだったのかと思うと、結構良いことを言っている。

 

 

恐ろしいことにこのパソコンは僕が中学1年生になるまで現役だった。長すぎだ。

 

それでもコイツは、僕になかなか色んなことを教えてくれたパソコンだった。これで初めての動画編集もした。5分くらいのスライドショー、音楽に合わせて編集して、テロップも沢山入れた。2ヶ月くらい掛かってたと思う。今思うととんでもないけど、凄く楽しかった。頑張ってDVDに焼くところまで行ったのだから褒めてあげたい。

 

あまり有益な調べ物をした記憶はないけど、肌色の画像や動画を沢山見た記憶はある。それまで保健の授業で煙に巻かれ続けた点が全て線で繋がったときの衝撃は筆舌に尽くしがたい。数学者のアンドレ・ヴェイユは、証明を完成させた時の快感を、冗談抜きに性的快感に例えたらしいが、なんかそんな感じだった。ヒント無しでむつかしい謎を解いたような感じ。ついでに言うと本物の性的快感の方も得ていたのだから快感の二乗である。

 

 

関係ないが、ネットがない時代は一体どうやってそうした知識を得ていたんだろう。昔の日本は性に大らかだったというから、なくても平気だったんだろうか。

 

 

 

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翻って、今僕が使っているLet's noteは電源を入れれば5秒でスタート画面だし、あらゆる動作が滑らかであるし、動画を編集しようがwordを使おうが基本的に落ちない、無敵である。割と上位のプロセッサが入っていると買うときに聞いた。

 

スマートフォンにしてもiPhoneは恐るべき速さで反応してくれるし、今や指先1つで美容院の予約、食事の予約、ネットショッピング、電子マネーでの支払い、なんでもちょちょいと出来てしまうし、それが当たり前である(かの様に感じる様になった)。

 

ふと、もしこのパソコンが、あのときのWindows XPだったらどうだっただろうと思う。

 

まず、履修登録に果てしない時間を奪われる。そうして、レポートを書こうと数式エディタなんかを使ったら(あの頃のwordに数式エディタがあったのか知らんが)間違いなく5文字に1回ペースでフリーズする。苦労して書きあがったものをPDF化するのに5分かかる。それを確認のために開くのに2分かかる。誤字を見つける。直そうとするけどファイルを開くのに5分かかる。そして表示される「Microsoft word(応答無し)」。

 

僕はレポートを落とす。そして教授からやってくる留年通知メール。開くのにまた5分かかる。

 

 

 

 

今の時代の子供達は、最初から人間がストレスを感じないレベルまで洗練された機械群に囲まれて育つ。

 

彼らは、まぁ、よほどのことがない限り機械に当たったりしないだろう。怒りどころが無いからである。

 

ただ、僕らの世代は、例えるならコンピュータのレベルが100→100,000,000,000くらいまで変化する時代と共に生きてきたけど、彼らはその変化を真の意味では知らずに生きていく。ウサインボルトがタイムを更新しました!と聞いても一般人には速い人がさらに速くなったらしい、程度しか分からない。

 

僕らは感覚の限界をとっくに迎えているような気がする。あらゆる性能はまだ暫く上がり続けるかもしれないが、これ以上良くなっても感覚的には大差ないと思うことだろう。

 

ならば、そうしたコンピュータの技術の成長の過程を見る楽しみや興奮は、もう死んでしまったんだなぁ。

 

今はパーソナルコンピュータの性能を上げるより、高度に高速化された通信を使って、遠方のスーパーコンピュータの力をパソコンが借りるという方向にシフトしているそうだ。

 

ふと、理系の学生としては、今が100のものを研究したいと思った。もうそろそろ、院のこととかも調べなくてはならない。

 

 

 

 

 

なんの話をしてたんだっけ。

 

あ、そうだ、火傷気をつけます。右手の甲が痛い。

 

記憶を無くして気持ち良くなりたい


僕の友人はよく、お酒を飲んで記憶を失っている。そういうときは本当に何も覚えていないらしい。後で自分の写真とか動画とかを見て、ケタケタ笑っている。朝気づくと土足のまま自宅のソファに寝てたこともあるらしい。ニコニコしながら話していた。一体何がそんなに面白いのか。怖いとか思わないのか。

 

 

僕もお酒はそこそこ普通に飲む方だと思うけど、記憶がなくなるまで飲んだことはない。吐いたりすることすら滅多にない。高校の先輩から授かった"2alcohol-1soft drink"の教えを素直に守ってきた為である。

 

 

話を聞いている限り、記憶を無くした人々は総じて全く反省している様子はなく、心なしか誇らしげですらあり、寧ろまた記憶を無くしたいと思っているのじゃなかろうかとさえ思う。もしかしたらめちゃくちゃ気持ちいいのかもしれない。自分が何をしたのか覚えていないという不安すら打ち砕く快感を得ているのかもしれない。

 

 

fmfm、俺も気持ちよくなりたい。羨ましい。来週は飲み会がある。もう浴びるほど飲んでやる。何だか理由はよく分からないのだけど、最近何かと窮屈な感覚で、少し疲れている。誰に何と言われようと飲むと今心に決めました。

 

 

幸い遺伝子的にも僕はアセトアルデヒドを分解するのに長けている(体重が重い人、すなわち血液量が多い人ほど血中アルコール濃度は上がりにくい。僕の体重は女子からの反感をまとめ買いするような数値なのに普通に飲めるので、恐らく分解能力が純粋に人よりは高いはずである)し、飲み会は金曜日だ。翌日の土曜日はシフトを出さないでおこう。

 

 

僕は次の飲み会で記憶を無くして気持ち良くなってみせる。

 

さて、僕は計画的な男なので、酔いの作戦を練ることにした。

 

酔いには段階があって、名前が付けられている。記憶がなくなるというのはどの段階なのだろうか。

 

酔いの段階と時間配分

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酔いのメカニズム|お酒とうまく付き合う|CSV活動|キリン

1.爽快期
2.ほろ酔い期
3.酩酊期①
4.酩酊期②
5.泥酔期
6.昏睡期

 

どの酔いの段階にも記憶がなくなるという風には書いていなかったが、一体どこからが記憶がなくなる領域なのだろう。酩酊期②〜昏睡期のところは、危ないし死んじゃうかもしれないので違う。みんなそんな辛そうではなかった。

 

となると、酩酊期①か。血中アルコール濃度0.11~0.15%のところだ。なんだか怒りっぽくなるとか色々書いてあるが、僕の周りの記憶喪失共はもともと優しめの性格なので、怒鳴ったり荒っぽくなったりすることはなかったのだろうか。怒りっぽくなるって、要するにリミッターが外れてしまうってことだ。そういう意味ではみんな外れまくっていた。あれは親に見せられない。僕の場合も心は清いので、周りの人に迷惑をかける心配はない。よかった。

 

唯一の気掛かりもなくなったので次の飲み会ではここを目指して思う存分楽しもう。僕の体重だと、安い居酒屋でも大体種類満遍なく8杯くらい飲めばイケそうだ。ちゃんと計算したので間違いない。一次会の2時間で3杯。ここでは先生や新入生もいるのでまだ理性をキープしておこう。二次会で5杯。ブチあげる。よし、これでいこう。

 

来週が楽しみである。

 

怒られても記憶がないと言えば許されるはずだ。というか、許してほしい。

スピッツのチェリーで"僕"はどこへ行くのか

桜は散ってしまった。もう木々は青く色を変えているし、この季節を感じられるのはあとどれくらいだろう。4月の間くらいはきっと春の匂いも残ってくれる。

 

四季の中で最も春が好きである。それは僕が生まれた月が3月末なのが関係しているのかもしれないし、ぽかぽかとあたたかい気象のせいかもしれないが、子供ができたら春に関する字を名前に使いたいくらい好きである。

 

春といえば、スピッツに『チェリー』という曲がある。

僕はスピッツの曲を聴き始めて9年目だ。殆ど全ての曲を聴いており、お気に入りの曲でプレイリストを作ったら全曲数の2/3ほどが入ってしまって殆ど意味がなくなったし、直筆のサインも持っている。恐らくかなりのスピッツ好きであると思う。

 

スピッツというと大体

チェリー
空も飛べるはず
ロビンソン

あたりしか聴いたことがないという人が多いので、好きな曲を聞かれたときに、ファンはこの3曲を敢えて入れなかったりする。

 

僕もさわって・変わって自転車魔法のコトバモリー夢追い虫ババロア…など、敢えてその3曲以外のお気に入りを友達に紹介していた。それ以外にも沢山良い曲あるんだよ!という気持ちだったのだ。

 

しかし、僕がスピッツを知ったきっかけはチェリーである。そして、やはり最も好きな曲もチェリーだ。

 

初めて聴いた時は脳みそが洗われるような衝撃を受けた。中学生の時期は所謂"音楽"というものを少しずつ聴き始めた頃だったが、一聴してどハマりした。

 

すぐにTSUTAYAに行き、シングルコレクションを2枚借りた。その日から毎日毎日繰り返し聴いた。中学2年生に進級したばかりの時期だった。

 

だから、僕の中で春の曲といえば『チェリー』である。これを聴きながら外を歩く以上に気持ち良いことなんかない。

 

この曲は一体どんな曲なのだろうか。草野さんの書く詩は大体が恋の歌だ。歌詞の意味を公に話すことはなく、聴き手がそれぞれに解釈してほしいという。

 

 

チェリーとは何を歌った曲か

君を忘れない

曲がりくねった道を行く

産まれたての太陽と

夢を渡る黄色い砂

最初から未練がたらたらだ。"君"とは別れた女性のことだろう。曲がりくねった道が、一体どこへ向かう道なのか。

 

"産まれたての太陽"はその女性のことなのではないか。"僕"にとって彼女は初めての、汚れのない光だった。いつでも、どこにいても、その存在を忘れることはなかった。

 

"夢を渡る黄色い砂"は、僕には砂時計を想起させた。関係が終わった後の時間の経過、もしくは"夢を渡る"なのだから付き合っていたときの時間を表しているのかもしれない。そして、砂時計はいつか必ず終わる。

 

 

二度と戻れない

くすぐり合って転げた日

きっと想像した以上に騒がしい未来が

僕を待ってる

"僕"は彼女と別れたばかりで相当に傷ついている。楽しかった日々を思い返しては頭を抱えている。

 

"僕"が彼女とこれからどういう関係になりたいのか。"想像した以上に騒がしい未来"に、彼女はいるのだろうか。

 

 

「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしたよ

ささやかな喜びをつぶれるほど抱きしめて

"僕"は恐らく振られたのだろう。僕はこの台詞は、そんな傷ついた状態で"僕"が発した、弱さの告白であるように思える。「愛してる」と伝えたのがいつなのか分からないが、"気がしたよ"のところから分かるように、ここでも"僕"は過去を振り返り呟いている。

「未来はきっと僕を騒がしく包むだろう。けど、僕は彼女とそんな日々を送りたかった。愛の告白は僕を強くしてくれた気がしたけど、結局のところ僕は弱いままだ。」

そんなことをささやかな喜び、くすぐり合って転げたような彼女との何気ない日々を思いながら漏らすのである。

 

 

こぼれそうな思い

汚れた手で書き上げた

あの手紙はすぐにでも捨てて欲しいと言ったのに

汚れた手とは、"僕"が袖にされた理由を自覚しているということだろうか。あるいはその想像がついているか。しかし、彼女は"僕"から貰った手紙を捨てなかった。"僕"はそれで彼女に期待してしまったのかもしれない。

 

 

少しだけ眠い

冷たい水でこじあけて

今、せかされるように飛ばされるように

通り過ぎてく

"僕"は別に調子が良くもなく、眠いような気持ちで過ごしていたけど、何とか顔を洗って、何かに押されるように毎日を送っていく。きっと、"僕を待ってる"と思っていた未来がなかなか見えてこない不安が、"僕"を焦らせている。

 

 

「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしたよ
いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい

"僕"は彼女のことが本当に忘れられないのだろう。"この場所"とはどこだろう。特別な場所ではないような気がする。もっと普通で、日常的で、そしていつも一緒にいた場所だ。

 

 

どんなに歩いてもたどり着けない

心の雪で濡れた頬

悪魔のふりして切り裂いた歌を

春の風に舞う花びらに変えて

"僕"はなかなか"騒がしい未来"に辿り着けない。春なのに心の中は雪が降るかのように寂しく冷たい。"僕"は彼女への想いを断ち切るかのように彼女に捧げた歌を破り捨てていた。

 

でも、"僕"はそんな歌をまた春の風に乗せて歌おうとする。このあとに入るギターソロは弾むような、穏やかなような印象で、"僕"の心が1つの転機を迎えたことを示唆しているように思われた。

 

 

君を忘れない

曲がりくねった道を行く

きっと想像した以上に

騒がしい未来が僕を待ってる

"僕"はまだ彼女のことを想い続けている。

たとえそれが一本道ではなく、あちこちに曲がりくねった道だとしても、歩いても歩いても進んでいる気がしなくても、"僕"は"僕"を騒がしい未来が待ってると信じて進み続ける。そこに誰がいようとも、そこに彼女がいなくても。

 

 

「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしたよ
ささやかな喜びをつぶれるほど抱きしめて

過去に囚われていた前半部分とでは、このフレーズの意味が異なってくると思う。

 

「僕は愛していると伝えるだけで強くなれた気がした。最後まで続くことはなかったけれど、僕の中の彼女と過ごした思い出は、今でも抱きしめたくなるほど愛おしいものだ。」

 

そんな風に読めた。

 

 

ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ

いつかまたこの場所で君とめぐりあいたい

"僕"はこの後入り組んだ道をどんな風にも生きていけるだろう。その先で、たとえ恋人という関係ではないにしても、また彼女と会えたら、"僕"はその道の途中で出会ったものや見つけたことの話をするだろう。こうして"僕"は新しい一歩を踏み出す。

 

 

 

 

 

草野さんはなぜチェリーという曲名なのかと尋ねられて『チェリーボーイだから』と答えていた。ふざけて答えたのかも知れないけど、そんな初恋の終わりと再生を歌った曲がチェリーなのかも知れないと思った。

 

 

※ 今週のお題 「わたしの春うた」

 

CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection

CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection

 

 

 



 

体感時間に対する1つの考察

バイト先の仕事で『大根おろしを作りまくる』というものがある。

 

 

先日、相方が『俺はこの作業が世界で1番嫌いだ』と言っていたので、大根おろしがワーストを取る人生って何なのかと思いながらも交代することになった。


確かに面倒くさい。やってもやっても全く大根が減っている気がしない。ブツブツ言いながら続けていたら店長に『それまだあと2個あるよ』と言われた。

 

 

時間に対する無意識

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一般に、時間というのは状況によって早く進んでいるように感じたり、遅く進んでいるように思われたりする。現実には相対論的に考えない限り時間は殆ど均一に流れるが、ここでするのは体感時間のお話だ。

 

例えば、つまらない映画を見ているときは2時間が拷問のように感じ、面白い映画だと一瞬で終わるように体感する。何故だろうか。

 

僕は(多分大体の人は)同時刻に意識を複数の対象に注ぐことが苦手である。つまり、普通は目の前の物と、経過時間の両方に意識を向けることができない。これが要因ではないか。

 

これによって先の例を説明すれば、映画が面白ければそちらに意識が集中するから、それが何時間だろうが早く進むように感じる(終わった時に初めて時間の経過を認識して驚く)だろうし、つまらなければ時間の経過の方に意識が向いてしまって遅く感じる。時計の秒針が動くのを2時間ずっと見ているなんて無理だ。

 

すなわち、単純作業の苦痛から逃れるためには、何とかして作業自体に集中する工夫をする必要がある。それはすなわち、効率性の追求である。

 

 

※以下は僕がなんとなくこうしたら良いのではと思ってやっただけのことで、根拠は皆無である 

 

大根おろしは、あまり押し付けながらやりすぎると、きめ細かくおろすことができないだろうと思った。多分、きめ細かい方がお客様に喜ばれる。そこで、押し付ける力を強くするのではなく、振動の速度を上げようと思った。ただひたすら素早く振動させる。この手の使い方に工夫の余地がある。どれだけ長時間、なるべく手首に疲労を溜めずに振動を続けるか。何か模範となるものがあるような気がした。振動…手首のスナップ…これはお茶を点てるときの動作に非常に似ている。

 

全ての物事は繋がっているものだ。その繋がりが顕在化するか、地中に伏したままになるかは誰も知らないところだが、あらゆる学びは相互に関係しあい、人類の智として輪郭の無い総体を築き上げているのである。私は大根おろしを通して、洞窟に縛られながら善のイデアの存在を確信した。

 

ありがとう、大根おろし大根おろしと茶道はこんなところで繋がっていたのか。ここで頑張れば、次稽古に行くとき今までより良いお茶が点てられそうだ。

 

 

 

 


そんなことを考えていたら作業が終わりました。

 

 

ちなみにその日は死ぬほどお客さんが来ず、大根おろしが終わった後は地獄のような時を過ごした。

茶道のコントをした思い出について

2年前の夏合宿。茶道の合宿では毎年1年生が宴会の時に30分ほどの出し物をする。

 

僕はそのときは他の1年生と混ざらないで、勝手に編入生の先輩達と4人組を組んでコントをした。

 

これが結構ウケた。その後僕の手を離れて独り歩きし始めたのだけど、僕が関わったのはこの合宿のコントの時と、その後の卒業パーティーの余興の時だけだ。

 

この頃は僕はラーメンズのコントに狂信的にハマっていたので、滅茶苦茶影響を受けて話を書いた。

 

今考えるとあんなふざけたことをして、よく先生は笑って許してくれたものだと思う。

 

ところで、新年度なのでメモを整理していたら、台本が出て来た。

 

 

 

【コント 茶道部
春、新入生の市山裕は横浜国立大学へ入学した。どのサークルに入ろうか悩んでいたところ、教科書の販売所のそばに和室を見つけた。

 

「えっと…ここは…茶道部…かな?大学に入ったし、新しいこと始めてみたいよね。行ってみよ!」

 

ガラガラ

 

「お、こんにちは!新入生の方ですか?」

 

「あの…表の看板を見てきたんですけど…ここは…」

 

「わぁ!どうぞどうぞ!今日丁度新入生茶会っていうお茶会をやってるから、お客さんに入って!」

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「お名前はなんて言うんですか?なるほど!ゆう君ね。ゆう君は初心者…だよね。じゃあ僕があそこにいる亭主の動きに合わせて、説明をするから、なんとなーく聞いてもらえればいいよ。あっ始まるよ。」

 

 

『本日は新歓、japanese tea ceremonyにお越しいただき、誠にありがとうございます。どうぞごゆっくりおくつろぎください。』

 

 

《亭主、お茶を棗から直接入れる》

「(めっちゃ溢れてる…)」

 

 

 

《亭主、お菓子をなげる》

『お菓子を、どうぞやねん!』

 

「ゆう君、食べていいよ〜」

 

 

 

《亭主、キッチンミキサーでお茶を点てはじめる》

「すみませんこれは…?」


「最近はね、現代の機具を取り入れたお点前を行っているんだ。伝統というのは、時代とともに塗り替えられていくものだからね。私たちの流派は、キッチンミキサーを取り入れているんだ。」

 

 

 

《亭主、自服する》

「すみませんこれは…?」


「自服だよ。腹が減っては戦は出来ないからね。」

 

 

 

《亭主、ペットボトルのお茶を取り出す》

《亭主、激しく頭を振りながらお点前をする》

「すみませんこれは…?」

 

「これは、ヘッドバンキング点前というものだね。お茶は混ぜれば混ぜるほど、美味しくなるからね。」

 

 

 

《半東、足が痺れすぎてガクガクになりながらお茶を出す》

『粗茶ですが』



 

《正客飲む。次客も飲む》

『ただ今お正客様がご覧になっているのは、"お茶碗"でございます』


「結構なお点前で。おさげください。」

 

『おさげいたします。』

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「こんな感じだね。どうだった?」

 

 

「あの…これ、僕の知ってる茶道とちょっと違ったんですが…」

 

 

「茶道?君茶道部を見に来たのかい?僕らは"チャドウ"部だよ。茶道部は4階、ここは3階だ。ところで、入部する?」

 

 

「二度とくるか!」

 

 

 

 

本番は合宿所の間取りの関係で台本通りやらずに、かなり書き換えてやった気がする。

 

 

 

 

 

これでやらなくて本当によかった。

 

 

 

言葉遊びでムードをぶち壊しにする

よく話の中の一言や一文に、矛盾や違和感を忍ばせる遊びをすることがある。

 

凡そロマンチックさとは程遠いことを言うから、結果的にムードをぶち壊しにしてしまうこともよくあるのだけど、やってしまう。自戒の意味を込めて(込もるかは知らんが)少し書いておこうと思う。

 

❶老舗のディズニーランド

[例]
「ここが老舗のディズニーランドか」
「老舗に比べてこれだから最近のディズニーランドは」
「老舗のディズニーランドのプライド」

 

ディズニーランドに行った際の一言目に最適である。調べたらディズニーランドは世界中に6個あるらしいから使えなくはない。つまり老舗のディズニーランドと言ったら、最も歴史のあるカリフォルニア・ディズニーリゾートのことになるのだろうか。名前が長いからこっちを使ったほうがいいよ。

 

 

❷妹のお父さん

[例]
「妹の父さんは今年52になる」
「君の妹のお父さんに挨拶に伺わなきゃね」

 

 

複雑な家庭と思われたい人にオススメの他人事感溢れるひとこと。火のないところに放火をしていくstyle。余計なことを疑われそうである。

 


❸人混みがいる

[例]
「やっぱりGWの桜木町は人混みが沢山いて疲れるな」
「人混みがいるところはニガテ」

 

人が沢山いて疲れたりしたときに使ってほしい。ネガティブな発言の方でなく言葉の違和感の方に意識が行くので、聞き手に不快感を与えない。多分。

 


❹奈良漬けの都三重県

[例]
三重県のお土産?勿論奈良漬けだね」
「本日のオススメは三重県産の奈良漬け」

 

関東圏の僕には奈良も三重も、というかあっちの方は京都とか大阪以外全部同じに見える。違いが分かる男になりたいような気もするけど、旅行に行く予定もないので多分しばらく分からないままだ。逆に関西の人からしたら、例えば埼玉も栃木も群馬も似たようなもんだろう。そんなもんだ。

 

 

❺思う存分足してこい

[例]
「御手洗いはあっちさ。待ってるから思う存分足してこい!」 

 

ガールフレンドが催したら言ってみてほしい。日本の少子化が進む。

 

 

❻電飾

[例]
「クリスマスはやっぱり電飾だよね」
「東京の電飾スポット」

 

彼女とイルミネーションを見に行くなら使ってほしい。日本の少子化が進む。

 

 

❼春を狩りにいく

[例]

「俺は隣町の女子大に春を狩りにいく」

「クリスマスの時期は何故かよく春が狩れる」

 

恋人を作りたいときに使ってみるといい。自分はフリーだということを宣言するのにも使える。恋人を作るのを諦めたときは、「今は狩りの時期じゃない…」と目を細めながら言っておけば間違いなく一生狩りの時期は来ない。

 

 

 

 

自戒するつもりで書き始めたのに使用を推奨する文章になってしまった。

 

こんな僕のままで春が来ないかな?それともどこかに狩りにいかないとだめだろうか。