someone's diary

生活の記録。

山奥のお寺に行ってきた

秩父の山奥にあるお寺に坐禅の宿坊へ行ってきた。

 

そこでお話をしていた中で、和尚さんからこんな言葉を貰った。

 

喫茶去

 

有名な言葉だから、ここでその解釈には下手に手を付けないでおく。

 

僕は、お茶を飲むときも、自分が抱えている悩みについて考えてしまって、目の前のお茶に神経が向かわないときがある。少し話はずれるけど、ひどいときはお茶を飲むのを忘れる。お茶を飲まずに後輩のお点前を見ていても、茶研費の請求はやってくる。嗚呼、悲しき哉。

 

お茶の風味はどんなんだったっけ? 誰が点ててくれたんだっけ? うまく点っていたっけ?

 

これはまずいお茶を飲まされるのより悲惨だと思う。何も思わないのは、きっと人生の無駄遣いだ。

 

色々考えてしまうのは、僕の性格上仕方ないことかもしれないけれど、それで目の前にぶら下がっているものを知らずのうちに見送ったら、とても悲しいことだ。それは、お茶に限った話ではなく。

 

次からは、稽古でもらうお茶をもっとしっかり味わおうと思った。