someone's diary

生活の記録。

先輩のお茶会に行って思ったこと

 

感謝とは何だろうか。

僕は、感謝とは実態としての授受関係を超えた、精神的な共鳴であると思う。

分かり易く言えば、何かを施されたとき、その相手の苦労や、心遣いに思慮を巡らせ、自分に向けられた相手の気持ちを理解することと換言できる。

だから、その苦労を経験したことが無かったり、人の為に何かを真剣にしたことの無かったりする人は、本質的に感謝という観念を理解できない。ありがとうと口にすることは出来ても、感謝することができない。

全く同じ経験することなど原理的に不可能だけれど、人はたとえ経験していなくとも、自分の経験から他人の経験を推量し、その気持ちに近づくことができる。

経験は推量を呼び、推量は経験を呼ぶ。

この螺旋の上で、人は人の気持ちを少しずつ考えられるようになっていくのだと思う。


僕は、とても独りよがりになりがちな人間だ。人の気持ちも想像できないほど、何も知らなかった。実際は変わっていないのかもしれないけれど、今は違うと思いたい。

自分がその重荷を背負ってみて、前より少しは人の気持ちに近づけるようになったかなと思う。

これまでの先輩達も皆、そうだったのだろうか。

昨日のお茶会を僕は、ずっと忘れないでおきたい。