someone's diary

生活の記録。

推敲

過去を追体験してそこに意味を見出そうとするのは人間の習性かもしれない。

 

それは、例えば答え合わせができる場合には有益な行為かもしれないけど、それが出来ない問題の場合は、過度に過去を振り返るべきではないのだろう。答えなんかないのだから。

 

何も考えないで過ごしている時間だってある。直感で判断することだってある。感情でものを言うときもある。

 

それらは、線で結ぼうと思えば幾らでも結べるかもしれない。後からなら幾らでも理由づけできる。

 

でも、結局それは全てが終わった後に行われる後付けの解釈で、実際に絶えることなく頭の片隅にその目的を置きながら生きていたかといえば、そんな訳はなくて、なるようになった結果でしかない。


考えればすぐ分かる。僕はなろうと思った自分になんかちっともなっていない。こんな未来を予想して生きてなんかこなかった。計画というのは大なり小なり基本どこかで破綻するものだ。

 

この大学にいるのだって殆ど偶然みたいなものだし(後期出願の2日前に適当に物理学科がありそうなところを探して、資料も殆ど読まずに出願した)、お茶を始めたのにも理由がない。

 

 

浦和高校に入ったのも、志が初めからあったわけではなく、塾の先生に勧められて、頑張っているうちにもうそこしかあり得ないと思うようになっていただけだ。軽音に入ったのだって、中学生のとき好きだった子が音楽が好きだって言っていたからで、滅茶苦茶適当な理由で始めた。

 

でも、卒業するときには、3年間が楽しすぎて、僕は"こんな3年間を送る為"に高校に入った、と思った。

 

高校で出会った友人は素晴らしい奴等ばかりだし、音楽は楽しかった。一生懸命打ち込むことを笑わない校風も好きだった。

 

 

 

これは、僕の人生にとって良い例の話だったけど、要するに始まりと終わりを簡単な線で結ぶことなんかできない。結ぼうとすれば、どこかを書き改めなければいけない。

 

自分の人生にとって良いことなら、これはとても気持ちの良いことだ。有終の美、終わり良ければすべて良し。ハッピーエンドが決まっている短編を推敲すれば良いのだから。

 

悪いことではないけれど、これに慣れてしまっていた。僕はある程度幸せな人生を20歳まで歩んできていたからだ。

 

逆の場合はどうだろう。

 

明日をより良くするためには、過去から"なぜ"を引っ張り出して原因を解明しなければならないと思った。

 

それは一見合理的かもしれないけれど、結局終わりがないから、過去にいつまでも引きづられることになる。どれだけ推敲したところで、解放されることなんかない。

 

だからといって、じゃあやめようと思ってやめられるようなことではなかった。やろうと思ってやっていないからだ。終わったことを忘れられないなんて、思い通りにならない性格だ。

 

 

 


僕は自力で幸せになることを抱負にしている。しばらくは何度か後ろを振り返る癖は抜けないかもしれないけれど、もっと新しい何かを目指して、また適当な気まぐれで次のハッピーエンドまでやっていこうと思う。