someone's diary

生活の記録。

Go!プリンセスプリキュア

プリキュアが好きである。

もっと言うと

Go!プリンセスプリキュア』が好きである。

 

わざわざ日記にすることもないのだが、今回帰省して録画を見直したところ、あまりの素晴らしさに涙腺崩壊、心にみるみる水が張られていくのを感じました。ということで、改めてGo!プリンセスプリキュアから得たものを書き記しておくことにした。

 

暴走気味に書いたので、いつもと色の違う日記になってしまった。めっちゃ長いし。でも、溜め込んでいた感動をアウトプットしないと堪らなかったんです。

 

Go!プリンセスプリキュアとは

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Go!プリンセスプリキュア-東映アニメーション

希望の国ホープキングダムに伝わる伝説、プリンセスプリキュア

物語開始時点で、ホープキングダムは絶望の魔女ディスピア率いるディスダークによって、国民全てが絶望の檻に閉じ込められている(なんてこった) 。

妖精達はホープキングダムを救うため、プリキュアになれる存在を探して地球にやって来る。そして、そこで私立ノーブル学園に入学したばかりの中学生、春野はるかに出会う。

 

春野はるか

彼女の夢はプリンセスになることである。冗談で言ってるのではなく、プリンセスになりたいのである。仔細に述べると、彼女は皇后や王女になりたいのではなく、幼少期に読んだ絵本『花のプリンセス』に憧れている。強く優しく美しいお姫様。

はるかは小さい頃、ホープキングダムの王子、カナタと出会っている。カナタは、プリンセスになりたいという夢を馬鹿にされて泣いているはるかに『なれるさ。君がその夢を、大切に育てることができたら。』と伝えて、夢のお守りにフローラのドレスアップキー(変身アイテム)を渡す。そして、はるかは花のプリンセスに抱いた憧れを中学生に至るまで持ち続けることになる。

物語序盤では自分の夢が他人に比べあまりに現実離れしすぎていることを気にしており、あまり人に話そうとはしていない。

彼女が入学した私立ノーブル学園というのは全寮制の私立中学で、島に位置している。ここの偏差値は鬼のように高い。優秀な学生が集い、それぞれが自身の目標、即ち夢を追って日々切磋琢磨している。

はるかは天真爛漫で少し天然気味に描かれているが、『ノーブル学園に行けばプリンセスみたいな女の人になれそうだ』と考え猛勉強、一般入試で入学を果たす。相応の学力、そして人並み外れた気力を有している。

 

物語

物語の最終目的は、4人のプリキュアがグランプリンセスなる段階に到達し、ディスピアを打ち砕きホープキングダムを復活させることである。

このシリーズのテーマは""である。強い夢の力を持つ女の子がプリキュアになるし、その力も夢に対する気持ちによって変動する。

敵は人の夢に鍵をかけることによって絶望させ、魔物であるゼツボーグを生み出し、プリキュアに戦いを仕掛ける。

なぜ、希望の国に絶望の魔女が生まれたのか。それは夢があるところには必ず、挫折、諦めが存在するからである。希望が多ければ多いほど、絶望が生まれる。ディスピアの出現は偶然ではなく、必然だったのだ。望んだことが全て叶う訳ではないという大人なら誰でも知っている残酷な真実を、この作品は子供に示唆している。


プリキュアというのはあくまでも子供向けアニメであるから、普通は大人の視聴に耐えられる構成にはなっていない筈である。

…が、Go!プリンセスプリキュアの場合はそうではなかった。僕は最終回で感動のあまり泣いてしまったし、Twitterで実況をしていた人たちも漏れなく賛辞を呟きまくっておった。

 

脚本

まず、脚本があまりに秀逸である。

単純で展開が予想できてしまう脚本というのはあまり面白いものではない。というか全然面白くない。

Go!プリンセスプリキュアでは、子供向けアニメの枠を超えた優れた脚本がきっちり50本、揃っている。こちらの想像をムッと超えてくる。

何個か具体的に取り上げてみる。

 

まず、4話目でぶったまげた。黄色いプリキュアキュアトゥインクルに変身する子は、名前を天ノ川きららというのだが、この子は中学生ながらにモデルの仕事をしていて、めちゃんこ忙しい。この話の中で1度はプリキュアに変身するのだが、戦いが終わった後、なんと『そんなメンドくさいのやるわけないじゃん?』とか言ってキーを返却、帰ってしまうのだ。これには妖精も激怒していた。

 

また、38話でも度肝を抜かれた。1人になったはるかを敵が襲ってくる。普通だったら王子様や仲間が助けてくれるところだが、この脚本は真逆を行く。ボロボロになりながらも戦い続けるフローラに、カナタはあろうことかはるかの夢を否定するという絶対にやってはいけない仕打ちをしてしまうのである。カナタは記憶を失っており、目の前で女の子が傷つきながらも夢の為に戦い続けるのを見ていられなかったのだが、自分の夢を笑わずに応援してくれたカナタ本人によって夢を否定されたはるかは、絶望してプリキュアの力を失ってしまう。

 

続く39話。彼女は自分の力で復活を果たす。プリンセスになりたいと思ったのは何故だったか。絶望しながらも自己の内面に迫っていく。子供の頃に抱いた夢。その最初のきっかけは『きらきらしててかわいいから』であった。『それだけ…?』と驚きつつも、プリンセスになりたいという夢が、ノーブル学園での生活、プリキュアとして過ごしたこと、その他沢山の楽しい思い出、それらを作っていたことを思い出す。『あなたが夢見てくれたお陰で、今私、とっても幸せだよ。

 

自分のしてしまったことの重大さに気づき、涙ながらに謝るカナタに、はるかは『カナタがやめろって言ったって、私は、プリンセスを目指すよ。』と笑うのである。

 

こんなの、どう考えても日曜日の8時半から大人を泣かせにきている。

 

劇中問答

ディスダークの幹部の1人であり、最終的に最重要キャラクターとなる敵、クローズは、プリキュアと対峙するたびに耳の痛くなるようなことを言ってくる。だいたいこんな台詞である。

 

『人の夢を応援して、お前は1人になった。夢はお前を追い詰める。夢はお前を1人にする。お前が応援している夢ってのは、お前を絶望させる悪夢でもあるんだよ!』

 

『プリンセスになりたいってなんだ?いつまでたっても結局グランプリンセスにだってなれてねえ。その夢はいつ叶う?終わりのない夢を、お前は追い続けているんだよ!』

 

『絶望は消えない。絶望は夢を追う限りお前らの前に何度でも現れる。』

 

余りにもシビア。しかし、正論である。それぞれがそれぞれの目標を追うことは、現実的に孤独につながるし、叶うか分からない目標を追えば当然不安になる。夢は最後は自分1人で叶えなければならないものだからだ。仲間ともいつかは離れ離れにならなければいけない。夢と絶望、成功と失敗はいつだって隣り合わせである。

 

はるかは最終的に『プリンセスになること』を『大地に根付いて咲く花のように、強く、優しく、美しい。そんな女性であり続けること』と捉えて成長する。

 

そして、夢も絶望も、そのどちらも自分を育ててくれた。だから、どちらも無かったことになんかできない。いや、無くしたくない。彼女は今まで戦ってきた絶望という概念を受け入れる。それは同時に、夢と絶望の対立が、雪解けを迎えた瞬間であった。

 

制作陣

この作品形態の場合は、企画段階で最終回までのプロットが完成しているということはなく、放送と並行して制作が進んで行く。その過程で様々なことが起こる。実際、例を挙げれば敵のクローズは序盤十数話までで退場が決まっていたのだが、声優の真殿光昭さんの演技があまりに好評で、復活を果たし、ラスボスにまで抜擢されている。

制作陣のこの作品に込める想いは、その作風からも、演技からも、作画からも、様々なところから読み取ることができる。

純粋に、こんなに良いものを作れるのかと、ひどく感激した。しかも、先に述べたように、それはある意味綱渡り的に、どのようにして終わるか分からないまま作られているのだから、この形で50話が完成していることが奇跡のように感じられる。

 

 

Go!プリンセスプリキュアから思うこと

僕らは大なり小なり、目標や、目的、希望を持って生きている。それは例えば受験に受かりたいであったり、良い仕事をしたいであったり、愛する女性と幸せになりたいであったり…こうなりたい、こうしたいということは持っている。それは夢と呼べると思う。夢とは、一生涯の目標のみを指す言葉ではないと思う。

そういった夢にはやはり、挫折や不安がつきまとう。細かく数えれば、うまくいかないことの方が多いだろう。望みを絶たれたときにどうするか。それもまた、必要なプロセスであったと思うしかない。これは結果論的だから、上手くいかなくて辛い最中はそんなこと思えないかもしれない。しかし、それで諦めてしまえるほど人生はお安くはないと思う。

 

また、どうなりたいか、どうしたいかを考えて生きることの大切さをこの作品から感じた。どうなりたいかが分かっている人は、行動に一貫性が伴うし、いざという時も強い覚悟を決められる。

 

幸せになりたければ、苦しみとも向き合うこと。

 

なりたい自分に向かってまっすぐ走ること。

 

僕がGo!プリンセスプリキュアから学んだことは、この2つである。