someone's diary

生活の記録。

誕生日は何故記念日なのか…?

昨日で21歳になった。

色んな人からメッセージを貰って嬉しかったです。ケーキを4ピースも食べた誕生日は初めてでした。熊谷さん達、ありがとう。

 

 

ふと、"誕生日を祝う理由"が気になってしまった。僕もこれから人の誕生日を祝いたいと思うから、改めてどうして祝うのか考えてみようかなぁと思いました。

 

 

誕生日はその人に固有の"記念日"である。

誕生日というものは、1人に1つずつ決められた記念日だ。生まれた日が自動的に割り当てられるので、その日であることに特に理由などない。

"生まれた日を記念日にする"ことに意味がある。

 

記念日というものは、暦の周期性を利用して、お祝いのリマインダーの役割を果たす代物である。

 

生まれた日を何故記念日にするのか。

ここで祝福すべきは


○生を受けたことそのもの
○現在までの軌跡全て


の2つだと思う。

 

前者は、誕生日の人が、自分の命と、そして両親に対して、改めて感謝するべきものである。これを書きながら思ったのだが、誕生日とは両親に感謝する日と言ってもいい筈なのだ。本人にとっては、祝われるよりそっちの方が重要事項だ。

 

後者は、それまで関わった全ての物事に対して感謝するべきものである。人の誕生日を祝う場合はこちらについて祝うのだろう。一緒に過ごした時間に対して、誕生日というその人の存在を象徴する記念日に改めて感謝し、これからも交友を続けていきたいと願う。

 

そうした知人友人からの祝辞は、人間関係の軌跡をそのまま表している。そういうものに対して、素直にありがとうと言える様にありたい。僕が歪んでいたら、きっとそういうものもちゃんと受け止められないだろうと思う。

 

記念日というものは、普段は忘れてしまいがちなことを思い出す為に(毎日感謝しまくっていたら生きづらい)定義された、他の364日と何も変わらぬ1日だ。だから、いつもと同じ心持ちで臨んではダメなのだ。

 


最後に、20歳の1年間で僕はどうだったのか、少し振り返ってみる。

 

前半は"the 中だるみ"みたいな時間をのほほんと過ごした。何かをした!という記憶もあまり無いので、特に何もしていなかったんだろうか。そんなにつまらなかった記憶もないし、似たような毎日を過ごしていたんだろう。バイトを沢山したりしていたかも知れない。貯金が結構貯まりました。

 

後半は僕を取り巻くあらゆるものが変化してしまって、慣れるのに時間がかかった。下宿を始めたと思えば、全然行ってなかったのに茶道部の会長になってしまうし、かと思えば1年付き合った彼女に振られて、代替わりから1ヶ月半でお茶会に臨み、僕が最もお世話になった先輩達の卒業を見届け、新しいバイト先で働き始めた。

 

後半は何をしたかよく覚えている。記憶というのは、初めになにをするか決めてから実行したもので無いと残らないのだなぁと思う。

 

この20歳後半の意味というのは、21歳の過ごし方によって解釈が変わってくる。意味はいつも後からつけられる。

 

ほっといたって幸せになる様な星の元に生まれているとは思わないけれど、何だか思うようにしていれば自然と良い方向へ進むような気がします。

 

したがって、僕は21歳の1年間をとても楽しく過ごします。皆さんどうぞよろしく仲良くしてくださいね。