someone's diary

生活の記録。

体感時間に対する1つの考察

バイト先の仕事で『大根おろしを作りまくる』というものがある。

 

 

先日、相方が『俺はこの作業が世界で1番嫌いだ』と言っていたので、大根おろしがワーストを取る人生って何なのかと思いながらも交代することになった。


確かに面倒くさい。やってもやっても全く大根が減っている気がしない。ブツブツ言いながら続けていたら店長に『それまだあと2個あるよ』と言われた。

 

 

時間に対する無意識

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一般に、時間というのは状況によって早く進んでいるように感じたり、遅く進んでいるように思われたりする。

 

例えば、つまらない映画を見ているときは2時間が拷問のように感じ、面白い映画だと一瞬で終わるように体感する。何故だろうか。

 

僕は(多分大体の人は)同時刻に意識を複数の対象に注ぐことが苦手である。つまり、普通は目の前の物と、経過時間の両方に意識を向けることができない。これが要因ではないか。

 

これによって先の例を説明すれば、映画が面白ければそちらに意識が集中するから、それが何時間だろうが早く進むように感じる(終わった時に初めて時間の経過を認識して驚く)だろうし、つまらなければ時間の経過の方に意識が向いてしまって遅く感じる。時計の秒針が動くのを2時間ずっと見ているなんて無理だ。

 

すなわち、単純作業の苦痛から逃れるためには、何とかして作業自体に集中する工夫をする必要がある。それはすなわち、効率性の追求である。

 

 

※以下は僕がなんとなくこうしたら良いのではと思ってやっただけのことで、根拠は皆無である 

 

大根おろしは、あまり押し付けながらやりすぎると、きめ細かくおろすことができないだろうと思った。多分、きめ細かい方がお客様に喜ばれる。そこで、押し付ける力を強くするのではなく、振動の速度を上げようと思った。ただひたすら素早く振動させる。この手の使い方に工夫の余地がある。どれだけ長時間、なるべく手首に疲労を溜めずに振動を続けるか。何か模範となるものがあるような気がした。振動…手首のスナップ…これはお茶を点てるときの動作に非常に似ている。

 

全ての物事は繋がっているものだ。その繋がりが顕在化するか、地中に伏したままになるかは誰も知らないところだが、あらゆる学びは相互に関係しあい、人類の智として輪郭の無い総体を築き上げているのである。私は大根おろしを通して、洞窟に縛られながら善のイデアの存在を確信した。

 

ありがとう、大根おろし大根おろしと茶道はこんなところで繋がっていたのか。ここで頑張れば、次稽古に行くとき今までより良いお茶が点てられそうだ。

 

 

 

 


そんなことを考えていたら作業が終わりました。

 

 

ちなみにその日は死ぬほどお客さんが来ず、大根おろしが終わった後は地獄のような時を過ごした。