someone's diary

生活の記録。

嗅覚記憶

人間は忘れる生き物として設計されている。記憶は累積され、或るものは忘却の彼方へ、或るものは片隅に隠れて顔を出す機会を伺っている。

 

 

最近、記憶というのにも種類があるんだってことを思うようになった。

 

 

言葉  風景  顔  声色  音楽  感情

 

 

そういうものは、何かのきっかけでふっと頭の中に蘇る。まるで突然弾けるみたいに。でもそれは、忘れようと思えば忘れられる類のものではないか。僕はそう思う。

 

 

また1つ、新しいことを発見した。香りにも記憶があるみたいだ。正確にいうと、香りも記憶として記録されるのだ、ということを初めて意識した。

 

 

香りは思い出すのが難しい。

 

僕らは鼻が弱くなって久しいんじゃないか。平安の貴族は、お香を焚いて自分の存在をアピールしたと言うじゃないか。僕らは香水をつけるような身分でも無いし、香りについては無頓着だ。普通に暮らしてて、よっぽど気を遣ってるオシャレさんじゃなければ自分の香りや部屋の香りをどうこうしようなんて思わない。無臭ならそれでいいじゃないか。そんなことで香りとは縁のない生活を送ってきた。

 

 

だから最近まで分からなかったのだけど、確かに香りも記憶として僕の脳に刻まれている。しかも、多くの他の記憶と結び付く形で。

 

中学生の2月に初めて感じた澄んだ空気の匂い。地元の本屋の新しい本の匂い。自分の脇の匂い。僕は自分の脇の匂いが好きだ。

 

 

僕は、ある柔軟剤の香りが好きだった。それは香りを覚えるくらいには同じときを過ごした人が使っていた物で、別に特別な香りでもなかったはずだけど、気に入っていた。

 

 

たまにふっとその香りが蘇るときがある。偶々同じような柔軟剤を使っている人とすれ違ったとき、朝に外を歩いているとき、風呂から上がったとき。

 

 

香りの記憶というのは他の記憶に比べて力が強くて、同時に追随する様々な記憶を、暴力的なまでの鮮明さを以って引っ張り出してくる。だから、本当に不意打ちで虚を突かれてしまって、困ってしまう。正面から殴られるより、後ろから膝を折られる方が僕には堪えるのだ。

 

 

嗅覚記憶は忘却の最後の砦。これを克服しないまでに、これを心地良いものとして再び感じることができるようになりたい。

 

良い香りには要注意。