someone's diary

生活の記録。

咀嚼-食物の物理的粉砕の意義

小さい頃、よく親は言った。

 

『よく噛んで食べなさい。』

 

 

少し経って、どうもそれにはちゃんとした根拠があることを知る。なるほど、唾液にはアミラーゼとかいう消化酵素が含まれていて、よく噛むことで消化の効率が上がるのか。だが、それを知ったからと言って僕の生活に変化はなかった。

 

 

そして、今、一人暮らしという、ご飯を自分で用意・調達しなければならない状況において、食事という行為にかつてないほど向き合わざるを得なくなった。

 

 

まず、全く驚くべきことだが、ご飯を食べないと腹が減る。そして、あるところで限界が来て、あり合わせで用意する。

 

 

この時点でもう僕は死にかけである。運動の体力は、まぁ優れてはいないが、そこそこ平均的にあると思う。しかし、こと空腹に対して僕の体力はほぼ無いに等しい。標準体型の人に比べて蓄えが殆ど無いので、その日食べなければThe END。デスコースである。

 

 

実家にいたときは親に用意してもらっていたのでそこまで追い詰められたことはなかった。ご飯だと呼ばれても『食べたいタイミングで食べたい』とか生意気なことを言っていた。実家のありがたさは、ご飯を作ってもらえることもそうだが、ご飯を食べなさいと言ってもらえることだと痛感した。

 

 

怖いのは、一人暮らしが始まってから1年近く経つが、『基本的に朝ごはんはあまり食べない』『限界まで近づかないと食事を取ろうとしない』という状況は余り変わらなかったということだ。成長と書かれた飴玉を50個くらい食べさせてやりたい。

 

 

にわかに信じ難いが、世の中にはご飯食べたい!という思いと共に目覚める人種が存在するらしい。というか、うちのサークルにいた。

 

 

他にも、お腹が空いてるわけでも無いのにご飯の写真とかをみてこれ食べたい!と言っている人もいた。スタバの新作を見て、絶対飲みたい!と言っている人もいた。すごすぎる。

 

 

僕も美味しそうなものを見れば美味しそうだなぁとは思うが、絶対食べたい…!とは思わない。機会があったら食べようかな。くらいだ。

 

 

食べることとは、生きることだ。

 

 

彼らは生きる才能があるのだ。尊敬に値する才能…

 

 

親は僕の食生活を凄く心配してくれる。というかそれしか心配していない。

 

 

言い訳すると、僕は朝ごはんを多少抜くことはあっても、昼休みや休憩時間でなんとか帳尻を合わせるために購買で買ったものをムシャムシャ食べたり、変な時間に食堂でお昼を食べたりしている。夜も、時間は殆ど深夜になるけれど、食べてはいる。夜中に食べるのは良くないらしいが…どうも、この日記は家族も見ているのです。

 

 

希望的観測を捨てて、現実検証…

 

1.僕はあまり量を食べる方でもない

2.改善の意志はあるが、しばらくはふざけた食生活は続くと思う

3.でもなるべく多くの栄養を摂りたい

 

さて、ここから導き出される結論はひとつ。

 

 

ご飯をよく噛んで食べる

 

 

僕らが唯一消化の手順で管理可能なのは、物を噛み砕く工程のみである。

 

胃腸に送られたあとは、もう一切を彼らに委ねるしかない。今食べたものから限界まで栄養素を摂取したいんだ!と念じたところで無意味。なんと無慈悲。自分の身体なのにまるで他人のように感じる。

 

 

一方で、彼等は冷静な仕事人である。僕がお願いしようがしまいが関係なく消化をしてくれる。

 

『言われてないけどやっといたよ〜』

 

イケメンである。ならば、やはり兎に角しっかり噛み砕くこと。それが大事なのだ。彼等は回ってくる仕事を黙々とこなすのだ。しっかり噛み砕くのは彼等に対する礼儀なのだ。

 

 

さて、もうこんな時間、まだ夕飯を食べていない。

 

 

うどんでも食べるかな。